夢の扉の先
[2022.04.20]
気温が前日より10数℃低下した木曜日は、冷たい雨が降りしきる駐車場でコロナ患者さんの診察を行い、不覚にも同日夜より体調を崩し、そのまま週末を迎えた。
前日の土曜日はレースを欠場するかどうするか、ずっとそればかり考えていた。自己ベストを大幅に更新した先月の東京マラソンの時はみなぎる自信しかなかったのと大違いで、不安しかないネガティブな気持ちでレース当日を迎えた。こんなのは全く以て初めての経験。
起床時は「前日よりはまだいいか」くらいの体調で、考えられるクスリを全て服用し、『行けるとこまで行き、具合が悪くなったら有無を言わずに収容バスに乗ろう』と思ってスタートラインについた。
スタート直前に『私は440くらいで行くから』と言った妻とは6kmくらいで離れ、ひとり旅が始まった。慎重に歩を進め、440-450/kmくらいのペースで巡航。ベストを尽くした東京マラソン以降は、あまり練習ができていなかったので走り始めは体が重かったが、とりたてて辛さや痛みは感じず、なんとかハーフを通過。タイムはまさかの1:38くらいだった。『この調子だったら激落ちしなければサブ3.5行けるかも』と思った。しかしここは捕らぬ狸の皮算用、とにかく完走目標に安全運転で行くと心に念じる。とりあえず後半は450前後でペースを変えず、モルテンジェル(黒)を投入し、行けるとこまで行こうと決意。
自分だけかも知れないが、特にハーフを過ぎてからのかすみがうらマラソンの距離表示は全くアテにならない。同じペースで走っているつもりなのに、1kmを走るのに5分くらいかかったり、その次が4分半だったり。まぁ自分の感覚を大事にして体内時計を信じることにして走り続けた。
もちろんここまで脚のバネは全く使わなかったが、さすがにここまでくれば少しずつ脚が重くなってきた。しかしこの日はこれまでにない「接地がキマる感覚」があり、脚に仕事をさせるのではなくシューズ(VF Next%2)に仕事をさせるようにした。前傾を意識し、体の真下に中足部から丁寧に置くようにすると、地面からの反力を活かして走ることができる。それだけ自分の力を使わずに済む、まさにランニングエコノミー。走るのはシューズに任せて、自分自身はなかば眠っているような感覚になっていた。
30kmを過ぎてから様相が変わった。通過時間を見ると2:20とまさかのタイム。4:40/kmペース。東京マラソンの時よりもいいタイム。このまま順調にいくとは思えないが、これからのペースダウンを考慮しても、自己ベストに近いくらいのところまで届くかも知れないと思った。モルテンジェル(白)を投入し『このまま450イーブンで行けばもしかしたら20分切りか!』と考えたらスイッチが入った。そのおかげか、35km通過時点の5kmラップは30km通過時点のそれより14秒ほど上がっていた。
終盤は「1kmずつキチンと刻む意識」のみで走り、補給も給水もロスになるのでパス。とにかく1秒を無駄にしないこと、ペースを保つことに集中した。しかしながらラストの局面で1秒を削り出すことは、これまで以上に体力を削ることとなり、全てにおいて疲弊感が半端なかった。37kmを過ぎて、自らを奮い立たせたのがこれ。自分だけにしかないとっておきのお守り。
『げんさん(コーチ)に言われたよな、この5kmのために半年間厳しいトレーニングをやってきたんだ。これまでやってきたことを思い出せ、オレ!』
少しでもペースが落ちたら20分切りはできない。次の1kmもそう。このお守りをパワーに1kmずつ消化していく。
あと少し、夢がすぐ手が届くところまで来ているのに、叶えられなかったら悔やんでも悔やみきれない。レース前はやめることばかり考えていたけれど、ここまで来たら絶対に夢を叶えたい。何が何でも「夢にまで見た3時間20分切りの世界」をこの目で見てみたい。残りが僅かとなったあたりで、こんな思いが強くなった。
競技場へ入ったら電光掲示板は3:19:32を表示していた。夢を叶えるのに、残り27秒しかない。白みゆく視界の中で見えたゴールは遙か先にあった。その時、3:12:31の好タイムで先にゴールした妻と親友みやじの大きな叫び声が聞こえた。
今までで一番キツかったけれど、もう何も考えずに持てる力を全て出して、マラソン人生で一番頑張った。
意識もかなり薄らいでいたが、ゴールだけははっきり見えていた。そこが自分の夢を叶える場所、まさに小出監督から教わった「夢の実現」の世界。
どうやってゴールしたかもわからない。気づいたら「大丈夫ですか、立てますか」と連呼する係員の声が聞こえた。「大丈夫ですが立てません」と答え、膝を擦り、這いつくばりながらゴール脇の芝生まで誘導され、そこでしばらく寝かされた。東京マラソンの時と同じく、最後の一滴までエネルギーを完全に絞り出したのはもちろん、今回は気力・体力・精神力を全て出し尽くしたレース、いや死闘だった。動けないってこんなになるんだなと、実感。
Apple Watchがブルブルとずっと振動しており、走友からの祝福メールが随分すごいことになってるなと思ったらそうではなく、ゴール時にかなりの衝撃で倒れたらしく、緊急SOSを発していたのには驚いた。
グロスタイムは3:19:52と、激走の東京マラソンを越えることができ、ついに夢の扉をこじ開けることができた。うつ伏せになりながら、半年間ずっと私を指導してくださったげんさん(コーチ)に電話をした。もう声にならない、出るのは嗚咽のみ。汗まみれの顔は涙と芝の葉っぱでぐちゃぐちゃだった。
『厳しい練習をこなした者だけが1秒の重みを知り、そしてその1秒に歓喜の涙を流すことができる』
夢の扉の先には、こんな言葉が刻まれていた。
まさに『その1秒を削りだす』ことができたのは、決して諦めなかったから。
そして先月の東京マラソンで出した自己ベストを良しとせず、常に前を向く姿勢があったから。
このマインドがある限り、私の進化は止まらない。